健康に多大な恩恵をもたらすラドンガス。巣鴨ホルミス健康館は温浴や岩盤浴ではなく、ホルミシスルームという新しいスタイルを提案して評判となりました。現代版湯治といえる巣鴨ホルミス健康館が誕生するまでの経緯をご紹介します。

運命的な出会い

今から23年前、これからの時代にふさわしい健康産業を事業化すべく、株式会社新エネルギー研究所が設立されました。設立から5年目(今から18年前)、この会社の創業者にある運命的な出会いが訪れます。

NASAの医学顧問だったトーマス・D・ラッキー博士と、日本でのホルミシス研究の第一人者服部貞男博士との出会いです。この二人が語ったホルミシス効果の凄さと確かさに触れ、感動して、ホルミシスを軸にした事業展開を決意します。

手探りでホルミシス関連の製品づくりをはじめるなかで、まず商品化したのは温泉の石(ラジウム鉱石等)をお風呂の湯船に入れて使う製品でした。しかし感動的なホルミシス効果が現われることはありませんでした。

次にラジウム鉱石を練りこんだシーツや枕カバー、サポーターなどを扱いました。これは今でも扱っています。そして、ラドンが溶け込んだ水(ラドン水)を扱いました。ラドンのホルミシス効果といえば玉川温泉が有名ですが、どれも玉川温泉に行ったような効果にまで至らず、ましてやラッキー博士と服部博士が言うような感動的なホルミシス効果は現れませんでした。

 

ホルミシスルームの誕生

そして、創業から11年後(今から12年前)、ラドンが発生する素焼タイルを貼り詰めた部屋を作り、その中で思い切りラドンを吸えるようにしました。ホルミシスルームと名付けました。ここでようやく思うようなホルミシス効果が得られたのです。
しかし、1部屋を作るのに予想以上の金額がかかり、モデルルーム1部屋を眺めながら事業計画を練り直さなければなりませんでした。

大病からの復活とホルミス健康館の誕生

そんな矢先に、創業者が大病を患います。気づいたときには手の施しようがない段階でした。「必ず健康を取り戻す!」と自らに誓い、ホルミシスルームに入りました。そして、ホルミシス効果を信じて毎日入り続けた結果、奇跡的に病を克服することができたのです。この大復活劇によって、ホルミシスに関する事業は大きく転換していくことになります。

1年後(今から11年前)、5つのホルミシスルームを完備し、最大23人が利用できる日本最大のラドン・ホルミシス室内施設、「巣鴨ホルミス健康館」をオープンさせました。利用料金は多くの人が毎日でも入れる価格に設定しました。月会員の場合、1日の料金に換算すると銭湯より安く利用できます。創業者自身の体験から「健康のために誰でも毎日気兼ねなく入れる施設」がホルミス健康館のコンセプトになったのです。

お客さまの笑顔が喜びです

あれから11年、ホルミシスルームの数は8部屋に増え、最大33人が利用できる日本最大のラドン・ホルミシス室内施設は今も続いています。規模は当初から日本最大でしたが、お客さまの要望により、ルーム数を増やしたため、当健康館ではスタッフルームと呼べる場所がなくなりました。そのスペースを新たなホルミシスルームにしたからです。

常時3名以上いるスタッフは半畳のスペースをもって食事や着替えなどをしています。それでも、皆が明るいのは、お客さまから「ここに来てよかった!」「ほんとうに助かった!」と言っていただき、元気になった喜びを笑顔とともにわかちあえるからです。

これからもお客さまから喜びの笑顔をいただけるホルミス健康館であり続けたいと思っています。そして、必要な方たちのために、日本全国にホルミシスルームをさらに広げていきたいと思っています。